堀内恒夫について

はじめまして

昭和から平成にかけて、野球に関する番組や本、雑誌をこよなく愛して過ごして

来ました。今考えたら、自分にとって純粋に幸せな時間だったと思います。

そんな時代の想いで話を少しずつお伝え出来れば、と考えています。

 

第1回?(果たして何回続くのかわかりませんが)、最初は自分が小学生の頃、

そのプレーをテレビ見て驚き感動し、その後の選手の力量を測る際、比較の対象

とした読売ジャイアンツの「堀内恒夫」です。

選手時代の栄光を紹介するだけなら、たくさんの偉業を延々と並べていけば済む

だけの話なのですが、伝えたいのはそのようなことではありませんので、その点は

ご了承下さい。

 

過去、数十年に渡って様々な選手を見て来ましたが、プロ野球の選手としての資質、

才能という意味で「堀内恒夫」は本当に飛び抜けた存在だと思います。

高校生、大学生時代に数多くの伝説を残した選手はたくさんおりますが、その後

プロの世界で長く生きていくための伸びしろを持っているのは本当に少ないですし、

尚且つ勝てるチームで長く君臨するとなると、ますます希少価値が・・・そんな

お話です。

 

プロ野球選手のプレーを表現する際「走攻守」という言葉がありますが、今回は

ピッチャーというポジションですので「投攻守」で良いでしょうかね。

小学生時代「堀内恒夫」の守備をテレビで見て、自分の肉体を理想的な形で使い

最高の形で魅せる、というシーンが何度もありました。

野球をするために生まれて来て、プロの世界で当たり前にその才能と技を披露する

なんて普通は有りえないはずですが、世の中には何年かに一度現れるようです。

ただし、「堀内恒夫」の投手としての守備のプレーは信じがたいほどスムーズであり、

その速さが伝わらないほどのレベルで、逆にごく当たり前のプレーを見ているような

感覚で終わることがほとんどでした。

 

野球を経験された方なら、ボールをグローブで取り行く感覚と言えばお解り頂ける

かも知れませんが、来たボールを収めることが第一で、そこからボールを取り出し

た後に、投げるべき場所にこのぐらいのスピードとか高さで投げることを順を追って

何秒かの間に行っていると思います。

堀内恒夫」は、たぶん常人の100倍ぐらいの処理能力でコンマ何秒まで短縮

可能でした。肝心なところでミスをしないどころか、味方側の野手が間に合わない

ぐらいの高速でプレーを行い、「俺にしか理解出来ず、俺にしか出来ない」意味合い

で満足していたように思います。恐ろしく傲慢ですが、誰にもマネが出来ないレベルの

「何か」を持っている場合、プロの世界では全て正しいこと、としてして認識される

ものだと思います。

 

ピッチャーとしての才能や能力、肉体的・技術的意味合いで上回る選手は、間違い

なく他にも存在したと思います。ただ、勝ち続けるチームのエースとして君臨出来る

のは本当に何人いるのか、大事な戦での勝ち運を持ち、相手のエースと毎回のように

投げ合ってもつぶれない、まして「投攻守」全てに秀でるというか、プレーの桁が

違っているなど・・・。

そういう意味合いで「天才」が存在するなら「堀内恒夫」だと思っています。

たぶんというか、間違いなく自分の中での存在感は変わることはありません。

 

野手としても成功しただろう、という話は良く聞きましたが、ポジション的にも

ピッチャーがベストだと思いますし、あれだけ際立つプレーを見るなら画面の

中央で映ってくれたほうがありがたいですし、特に昭和の時代は、テレビカメラが

バックネット裏固定というパターンが普通で、マウンド上のピッチャーが特別に

高い位置から投げていることが良くわかりました。

常に「舞台」で映える男として、とても人気があった選手でしたね。

 

年令的に団塊の世代に属する選手なので、自分よりももっと詳しく生で見た方も

多数いらっしゃると思います。

自分は本当に辺鄙な田舎で生まれ育ったため、当時の後楽園球場やその他の球場

などで観戦する機会など夢のまた夢であり、テレビか雑誌でしか情報は得られない

もの、と思うしかありませんでした。

それでも、「旬の堀内恒夫」をギリギリ理解出来る年令であったことは幸いだった

と思います。仮にもう少し、2.3年前の入団当時からその存在を理解出来る年令

だったら、この文章は思い入れが深くなりすぎて物量として3倍ぐらいになって

いたかも知れません。

 

それではまた